次のように書いてある、 「義人はいない、ひとりもいない。
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
人はいかなる者か、どうしてこれは清くありえよう。 女から生れた者は、どうして正しくありえよう。
それで人はどうして神の前に正しくありえようか。 女から生れた者がどうして清くありえようか。
というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、
心はよろずの物よりも偽るもので、 はなはだしく悪に染まっている。 だれがこれを、よく知ることができようか。
わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。
イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。
だれが汚れたもののうちから清いものを 出すことができようか、ひとりもない。
断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、 「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、 あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」 と書いてあるとおりである。
まして憎むべき汚れた者、 また不義を水のように飲む人においては。
犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。
ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。
「神は、彼らに鈍い心と、 見えない目と、聞えない耳とを与えて、 きょう、この日に及んでいる」 と書いてあるとおりである。
あなたのしもべのさばきに たずさわらないでください。 生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。
悟りのある人はいない、 神を求める人はいない。